第1部 1年目 どん底で、考え方を変える 第1話
年商2,000万で貯金ゼロ。おかしくないですか?
予約表は満席。「店、順調だね」と言われる。それなのに月末の通帳は空っぽ。店のお金と自分のお金が1つの財布から出ていた、5年前の僕の話。


01 朝8時半のシャッターと、夜11時の通帳
5年前の僕は、42歳でした。朝8時半、店のシャッターを上げ、タオルを畳み、薬剤の在庫を数える。9時に1人目のお客様。予約表は、その日も満席でした。
昼ごはんは、カラーの放置時間に、立ったままのおにぎり。夕方、ナオミさんから「明日、子どもが熱で」のLINE。頭の中で、明日の予約を組み直す。夜9時に最後のお客様を見送り、レジを締め、床を掃く。
玄関を開けるのは、夜11時過ぎ。台所のテーブルで、通帳を開きます。開業して8年。年商は2,000万円。「店、順調だね」。同業の友だちにも、お客様にも、そう言われていました。
それなのに、月末の通帳には、ほとんど何も残っていない。先月も、先々月も。僕は通帳を閉じて、冷めたお茶を飲みました。
あなたの月末も、5年前の僕と同じではないですか?
満席の予約表と、空っぽの通帳。
02 混ざったままだと、何が起きるか
理由は、あとになって分かりました。店のお金と、自分のお金が、1つの財布から出ていたのです。スタッフの給料も、家賃も、薬剤の仕入れも、家のローンも、息子の学費も、全部が同じ口座から出ていく。
すると、何が起きるか。まず、店がいくら残したかが分からない。次に、自分がいくら使っていいかが分からない。そして、税金や保険料を払う時期になって、慌てて残高を見ることになる。
僕の場合は、確定申告の前になると毎年、カードの引き落としの明細をさかのぼって、薬剤の代金と息子の塾代を、1行ずつ仕分けていました。どっちの財布が減ったのかさえ、分からない。それが8年、続いていました。
数字を1つ置きます。厚生労働省の調査(2022年)では、雇われて働く美容師の平均年収は、約330万円です。僕の取り分は月40万円、年480万円。平均より上でした。それでも、残らなかった。
売上2,000万円に利益率10%なら、店の利益は200万円のはずです。でも、その200万円がどこにあるのか、僕は答えられませんでした。お金はあったのに、見えていなかった。混ざっている間は、どれだけ働いても、残りません。
頑張っていたのに、残らない。混ざっていたから。
03 「明日、子どもが熱で」のLINE

夕方6時。シャンプー台を流していると、ポケットの中でスマホが震えました。ナオミさんです。「明日、子どもが熱で。すみません」。ナオミさんは41歳、シングルマザー。頼れる人は、近くにいません。
僕は「大丈夫、お大事に」と返して、首の後ろをかきました。明日のナオミさんの予約は6人。僕とマリさんで、どう振り分けるか。頭の中で、予約表を組み直します。
この時、僕が考えていたのは「明日の売上」だけでした。ナオミさんの子どもの熱でも、マリさんの残業でもなく、売上。店のお金と自分のお金が混ざっている人は、売上しか見る物がないのです。
ナオミさんの子どもが熱を出すたびに、僕は「いくら減るか」を先に計算していました。「ナオミさん、大変だな」と思うのは、そのあと。今、思い出しても、恥ずかしい順番です。
「順調」の中身は、何だったのか。満席の予約表を、僕とスタッフ3人の体で回していただけでした。誰か1人が止まれば、その日の売上も止まる。それを「順調」と呼んでいたのです。
「順調」の中身は、僕たちの体だけだった。
04 売上と利益と現金は、同じ物ではなかった
この連載の答え合わせの図を、先に置きます。左は、働いて出すお金。右は、持っているだけで出ていたお金。5年前の僕には、右側は、別の世界の話でした。

図の一番下、店の利益200万円を見てください。年商2,000万円に利益率10%で、経営の世界では「優良企業」と言われる数字です。朝8時半から夜11時まで働いて、僕が出していたのは、この200万円でした。
ところが当時の僕は、この200万円を見たことがありませんでした。利益は出ていたのに、店の支払いと家の支払いが同じ口座を取り合い、月末には消えていた。利益が出ていることと、お金が残ることは、違うのです。
その上の段、資産3,000万円が生む300万円の話は、1年目の終わりにします。ここで覚えてほしいのは、1つだけ。混ざっていると、出ていたはずの利益さえ、見えなくなる。
利益は出ていた。見えていなかっただけ。
05 「大丈夫」と言うのを、やめた

その夜、台所で通帳を開いている僕に、妻が洗い物の手を止めて聞きました。「今月も、だめだった?」。妻はパートで働く、普通の人です。責任を持つのが、とても嫌いな人でもあります。
いつもなら「大丈夫」と答えて、通帳を閉じていました。でも、その夜だけは違いました。「分からない。いくら残ったのか、分からないんだ」。口に出したら、自分でも驚くほど、情けない声でした。
妻は怒りませんでした。「じゃあ、分かるようにしたら?」。それだけ言って、洗い物に戻りました。1年目に僕が最初に変えたのは、お金の計算ではなく、この返事でした。「大丈夫」と言うのを、やめた。
分からない、と認めると、次に「何が分からないのか」が見えてきます。僕の場合は、店の分と家の分が、どこで分かれているのか。それが分からなかった。分けて見たことが、一度もなかったからです。
翌朝、僕は通帳の先月のページを開き、出入りの1行ずつに、店か家かの印をつけてみました。半分も、つけられませんでした。同じ引き落としの中に、シャンプーの仕入れと、家の電気代が、一緒に入っていたからです。
「大丈夫」をやめたら、分からない物が見えた。
06 今日やること:紙を1枚、2列に分ける
今日やることは、1つだけです。紙を1枚出して、縦に線を引き、左に「店」、右に「家」と書いてください。 先月の通帳の出入りを、思い出せる範囲で、左右に振り分けます。正確でなくて構いません。
やってみると、たいてい2つのことに気づきます。「店」の列に、自分の生活費が紛れていること。「家」の列が、思ったより少ないこと。僕がこれを最後までやり切れたのは、楊さんに会ったあとでした。もっと早く、やればよかった。
線を引くのに、5分もかかりません。かかるのは、見たくない数字を見る覚悟のほうです。
次の話は、1-2「スタッフを業務委託にしたら、終わりでした」です。経費を減らしたくて、僕が最初にやってしまったことの話です。
まず、混ざっていると認める。それが最初の一歩。
情報元
- 美容師の平均年収 約330万円(月給26.75万円+賞与9.14万円) | 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」2022年(理容・美容師・雇われて働く人の平均)
- S&P500 配当込み 1957〜2025年 年平均約10%(米ドル建て・税引き前) | S&P Dow Jones Indices のデータをもとにした計算(DQYDJ/OfficialData)。図の「資産3,000万円」の行はこの数字での試算
- 講座 第14回「会社・生活・納税が1つの財布」・第3回「資産にはそれぞれ役割がある」(講義ノートより)
※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)



