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この話は、三平の3年目の話です(全体の地図を見る →)

第3部 3年目 売上より利益。身軽にして現金化 第8話

「その時」は来ない。僕は今、売った

「息子が出てから」「店が落ち着いてから」「もっと上がってから」。妻に「その時って何年何月?」と聞かれ、答えられなかった夜。川沿いを歩いて2人で決めた、今売る、という話。

食卓の上の紙と電卓と、夫婦の手元

01 3度目の「家の話」をした夜、妻が聞いたこと

3年目の初夏。閉店後の食卓に、ローンの残高の紙と、電卓と、冷めたお茶がありました。妻と「家の話」をするのは、これで3度目でした。

僕は、売る理由をもう分かっていました。それでも、口から出るのは「でも」ばかりでした。「今は値段がいいらしい。でも、もう少し待てば、もっと上がるかもしれない」「息子が東京に出てからでいい」「店がもう少し落ち着いてから」。

妻は電卓を置いて、静かに聞きました。「その『その時』って、何年の何月?」。僕は答えられませんでした。息子が出るのは来年か、再来年か。店が落ち着く日は、8年やってきて一度も来ていない。値段がもっと上がる日は、誰にも分からない。

「その時」には、日付がありませんでした。日付のない予定は、予定ではなく、逃げ道でした。

日付のない「その時」は、逃げ道だった。

あなたの「いつか」に、日付はありますか?

02 「もう少し待つ」の間に、起きていること

待てば、何かが良くなる気がしていました。でも、数えてみると、待っている間に起きるのは、こういうことでした。

1つ目。家は毎年、古くなる。築年数が増えるほど修繕の見積もりは膨らみ、買い手は減っていきます。2つ目。僕も年を取る。引っ越しの荷造りも、新しい街に慣れるのも、44歳より54歳のほうが重い。3つ目。利息は、待っている間も払い続ける。僕の場合、月の支払いのうち2万円ほどが利息でした。1年待てば約24万円が、家の値段とは関係なく消えます(試算)。

そして4つ目が、いちばん怖いことでした。「もっと上がってから」と考え始めた瞬間、僕は家の値段を当てようとしていました。楊さんの講座で習った言葉が、そのまま当てはまります。「素人は上がったら買い、下がったら売る」。これは株の話ですが、家でも同じでした。高くなったと聞けば欲が出て、下がったと聞けば怖くなって動けない。

統計は、人の数が減り、家が余る方向を示しています(2025年に団塊の世代が全員75歳以上、空き家は約900万戸)。けれど、僕の家の値段がこの先どうなるかは、統計にも書いていません。分かっているのは、待っている間に家は古くなり、僕は年を取ることだけでした。

値段を当てようとした瞬間、僕は素人になっていた。

03 川沿いを歩きながら、2人で決めた

川沿いの遊歩道を歩く、三平と妻の後ろ姿

定休日の午後、妻と川沿いを歩きました。家の中だと、紙と電卓が目に入って、話が数字ばかりになるからです。

僕は、楊さんに言われたことを妻に伝えました。「売り時を当てようとするのは、素人が株でやる失敗と同じ。決めるのは市場じゃなくて、自分たちの暮らし」。楊さんは、売れとも、待てとも言いませんでした。「三平さんの家やけん、三平さんと奥さんで決めなさい」とだけ。

妻は、しばらく黙って歩いてから言いました。「私ね、この家で孫と遊ぶ夢、まだ少し残ってる」。僕は立ち止まりました。妻は続けました。「でも、雨漏りの家で孫を待つのは、嫌。孫が来るなら、きれいな部屋を借りればいい」。

橋の手前で、2人で決めました。今、売る。家に帰って、売る前に決めることを5つ、紙に書きました。最後に2人で名前を書きました。契約書ではありません。でも、僕の人生でいちばん重い署名でした。

決めるのは市場ではなく、僕らの暮らしだった。

04 売る前に決めた5つのことで、答え合わせ

その夜に書いた5つを、表にして残しています。「売る」と決めたあとに迷わないための、僕ら夫婦の決まりです。

家を売る前に決めた5つのこと:売る理由を1行で書く・「これより下なら売らない」の線・次の住まいを先に決める・期限を決める・売ったあと値段を見ない

効いたのは、2番と3番でした。「これより下なら売らない」の線を先に引いたので、値段の話で心が揺れませんでした。次の住まいを先に決めたので、「売れたら、どこに住むの」という不安が消えました。不安が消えると、話が前に進みます。4番の期限は、結局使いませんでした。でも「半年」と書いたことで、毎週の話し合いに締め切りができました。

結果を書きます。秋に、買い手が見つかりました。ローンの残りを返して、手元に約800万円が残りました(試算)。僕の場合は、買った時より高い値段で売れました。

ただし、これは僕の腕ではありません。駅に近かったこと、市場が良い時期だったこと、買い手がたまたま現れたこと。運と時期です。同じ年に売っても、下がった家はあります。あなたの家が同じになるとは、言えません。売って出た利益には税金がかかることがあり、住んでいた家には特例もあると聞きました。ここは税理士に確かめてから進めました。

高く売れたのは、腕ではなく、運と時期。

05 鍵を渡した日、家は「物」に戻った

段ボールの並ぶ空の部屋で、鍵を持って立つ三平の後ろ姿

引っ越しの朝、空になった部屋に立ちました。8年分の家族の声が、壁に残っている気がしました。少しだけ、泣きそうになりました。息子が小学生のころ、身長を刻んだ柱だけは、写真に撮りました。

借りたのは、店から自転車で10分の2LDKです。家賃は月8万円。ローンと固定資産税と修繕の積み立てを足した、前の支払いより3万円少ない額でした(試算)。息子は「東京に行きやすくなった」と言いました。重い物が1つ減った顔でした。

鍵を不動産屋さんに渡したとき、妻が小さく言いました。「軽いね」。その一言で、僕は分かりました。家は、売った瞬間に「物」に戻ったのです。縛っていたのは家ではなく、「持っていなければ」という僕の思い込みでした。

5番目の決まりも、守りました。売ったあと、近所の家がもっと高く売れたという噂が耳に入りましたが、調べませんでした。もう、僕の家ではありません。

縛っていたのは家ではなく、僕の思い込みだった。

06 今日やること:「その時」に、日付を書く

今日やることは、1つだけです。あなたが「いつかやる」と決めていることを1つ選び、「その時」に日付を書いてください。 家でなくて構いません。口座を分ける、保険を見直す、スタッフと話す。何でもいいです。

日付が書けたら、カレンダーに書き込んでください。書けなかったら、それが答えです。その「その時」は、来ない。来ないと分かったら、今日の日付を書く。僕と妻は、そうしました。日付は、遠くてもいい。「来年の3月」でも、立派な日付です。

次の話は、3-9「車1台の一生の値段、家1軒分でした」です。家の次に手放したのは、車でした。30年分を数えたら、驚く数字が出ました。

日付が書けなければ、「その時」は来ない。

情報元

  • 75歳以上の人口 約2,180万人(2025年・団塊の世代が全員75歳以上) | 厚生労働省の資料
  • 空き家 約900万戸・空き家率13.8%(2023年) | 総務省「住宅・土地統計調査」
  • 講座 第2回「素人は上がったら買い、下がったら売る」(講義ノートより)

※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)