第5部 5年目 回して、つなぐ 第3話
倒れた日、一番こわがったのは僕じゃなかった
5年目の春、体調を崩して店に立てなくなった。売上は4割減。でも一番こわがっていたのは僕ではなく、お金の全体を何も知らなかった妻だった。

01 春の朝、シャッターを上げられなかった
5年目の春のことです。朝6時に目が覚めて、体を起こそうとしたら、起きられませんでした。天井が回る。手に力が入らない。枕元のスマホを取るのがやっとでした。
妻がナオミさんに電話をしてくれて、その日の予約は、ナオミさんと塚ちゃんで回してもらいました。僕は病院へ行き、そのまましばらく、店に立てなくなりました。病名は、ここには書きません。書きたいのは、そのあとの家の中のことです。
立てない日が1週間、2週間と続きました。僕の指名のお客様は、日にちをずらすか、ほかの店へ行くかのどちらかです。店の売上は、ざっくり4割落ちました。役員報酬は法人の決まりどおりに出ます。でも、それを出す元の会社の現金が、月ごとに細っていくのが見えました。
寝ながら、僕が考えていたのは、お金のことでした。けれど、僕より顔色の悪い人が、同じ家にいました。妻です。
僕より顔色の悪い人が、同じ家にいた。
あなたが明日、店に立てなくなったら。家族は、何を一番こわがると思いますか?
02 倒れた本人より、家族がこわい理由
妻は、僕の体のことを心配していました。それは当たり前です。でも夜になって妻が口にしたのは、もっと具体的なことでした。「店の家賃、いつ、どこから払っているの」「スタッフのお給料は、誰が計算しているの」「通帳は、何冊あるの」。
僕は、全部に答えられました。問題は、僕しか答えられなかったことです。2年目に口座を3つに分け、法人にして、毎月の発表会も始めていました。店の数字はスタッフに見せていた。それなのに家の中では、お金の全体を知っているのは僕1人でした。
日本生命の2023年の調査では、経営者の妻の47.7%が将来に不安を持っていて、夫とお金の話ができていない妻では65.3%に上がります。僕の妻は、この65.3%の側にいました。僕がそうさせていたのです。
倒れた本人は、少なくとも「何がどこにあるか」を知っています。家族は、それすら知らない。だから家族のほうが、こわい。お金が減ることより、「分からないこと」が人をこわがらせるのだと、僕はベッドの上で知りました。
減ることより、「分からない」が人をこわがらせる。
03 楊さんが電話で言った、短い一言

倒れて10日目、楊さんから電話がありました。お見舞いの言葉のあとで、楊さんは僕にこう聞きました。「奥さんは、全体を知っとる?」。僕は少し黙ってから、「いえ」と答えました。
楊さんの返事は短かった。「人はね、いつ死ぬか分からんのよ。だから先に、家族が全体を知っとく。それが順番」。講座の第14回で聞いた言葉でした。聞いたときは「そうですね」と頷いただけで、自分の家には当てはめていなかった。
「三平くんは、店の数字はスタッフに見せとるやろ。なんで家では隠すと?」。隠していたつもりはありませんでした。でも妻に見せていたのは「結果」だけで、「全体」ではなかった。店の売上が上がった、未来の口座が増えた。それだけです。家賃の額も、借入の残りも、保険の中身も、妻は知らなかった。
電話を切ったあと、妻が台所でマグカップを両手で持ったまま、座っていました。僕はその背中を見ながら思いました。妻がこわがっていたのは、僕の体のことだけではなかった。「私は何も知らないまま、取り残される」というこわさだったのだと。
いつ死ぬか分からない。だから先に、家族が全体を知る。
04 もしもの時に、家族が困る5つ
楊さんの一言のあと、僕はベッドの上で紙を1枚取り、「僕がいなくなったら、妻が困ること」を書き出しました。出てきたのは、大きく5つでした。

1つ目、口座とパスワードの場所。2つ目、店の支払いの額と日。家賃、給料、仕入れ。3つ目、借入と保険の中身と、連絡先。4つ目、未来の口座の中身と、触らない決まり。5つ目、困ったときに誰へ相談するか。
5つとも、僕の頭の中にはありました。でも、紙にも、妻の頭にも、ありませんでした。倒れた日の妻は、5つ全部が×。これが、妻の「こわい」の正体でした。
楊さんは「金額の大小やない。地図があるかどうかよ」と言いました。地図があれば、家族は迷わない。迷わなければ、こわくない。お金の話には、増やす前に、見せる順番があったのです。
金額の大小ではなく、地図があるかどうか。
05 起き上がれた日、妻に全部を見せた

起き上がれるようになった日の午後、僕は食卓に全部を並べました。通帳3冊、法人の決算書、借入の返済表、保険の証券、未来の口座の画面。そして、紙に書いた5つ。
妻は、最初は黙って見ていました。10分くらいたって、1つだけ聞きました。「これ、私が見てもいいものなの?」。僕は「見ないと困るものだよ」と答えました。それが、僕の家の発表会の始まりでした。
僕が変えたのは、3つです。5つの答えを1枚の紙に書いて、2人の決まった場所に置いた。店の発表会の数字を、家でも妻に見せるようにした。借入と保険の連絡先に、妻の名前も伝えた。難しいことは、何1つしていません。
ただ、順番が逆だったことだけが、問題でした。僕は「増やしてから見せよう」と思っていた。本当は「見せてから、増やす」でした。倒れた春に、ようやくそれが分かりました。
「増やしてから見せる」ではなく、「見せてから増やす」。
06 今日やること:「困る5つ」を1枚の紙に
今日やることは、1つだけです。「あなたに何かあったら、家族が困ること」を5つ、紙に書いてください。 口座の場所、店の支払い、借入と保険、育てているお金、相談先。この5つで足ります。
書けたら、その紙を家族に渡してください。読んでもらうだけでいい。説明は、あとでかまいません。僕は、この1枚を渡すまでに5年かかりました。あなたは、今日の夜に渡せます。
次の話は、5-4「『この店、私にどうしろと?』妻の一言」です。全部を見た妻が、翌朝に言った言葉の話です。
家族が困る5つを、今日、紙に書く。
情報元
- 講座 第14回「家族のお金と資産運用のルール」(講義ノートより) | 「いつ死ぬか分からない。だから先に家族が全体を知っている」
- 経営者の妻の47.7%が将来に不安・夫とお金の話ができていない妻では65.3% | 日本生命「夫婦の日」に関する調査(2023年)
※ この物語はフィクションです。数字は試算で、将来の結果を約束するものではありません(くわしくは「この連載について」)



